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馴れ初め事件簿 in 2000
私たち夫婦の一番最初の出会いは・・・ガーラフレンドという巨大コミュニティーサイトでした。このサイトはいくつものコミュニティーからなり、コミュニティーの掛け持ちはもちろん、大勢・少数でのオフ会などもあり一番ネットマナーがしっかりしていた頃でした。ママはアメリカへ留学中(1995年頃)からガーラキャンパスというガーラフレンドの前身のサイトへアクセスしていた事から出会いへの道は始まります。ママがガーラフレンドへ再登録したのが留学から帰国した1997年6月。家庭の事情で留学先の大学を中退して帰国後就職してから。本当は1ヶ月ぐらい夏休みがあると(職が決まらずに)思っていただけに帰国後すぐに受けた面接で「採用」をもらってしまい、慌しい生活がスタート。パパがガーラへ登録したのは私が登録した数年後。別サイトで知り合った人からすすめられて登録したのが始めだそうです。私たちはいつもチャットで会いお互いの存在は知っていましたが、当時(2000年6月まで)は東京と大阪と遠距離だったのでお互い気になる人物であっても恋愛の対象とは考えていませんでした。

1997年にママが初めての就職をしてからの数ヶ月間は留学していたという「事実」がまるで白昼夢を見ていたかのような感覚を持ちながら採用された会社で2年間マジメに働きました。この頃、パパは今の仕事(通信業)を会社員としてがんばって働いていました。

2000年3月、ママが「25歳」という年齢を目前にして「このチャンスを逃したら転職は不可能」という強い思いを感じ、お世話になった東京の会社を辞めて関西方面で仕事を探し始めました。この頃は帰宅後毎晩お互いがガーラのチャットへ出没してました。だからパパもママが関西へ引越しする可能性があることを知っていましたし、いろいろなアドバイスをしてくれました。

関西方面で就職したいという希望は帰国した当時からの夢のひとつでしたが、今思えばこれが「赤い絆」だったのかもしれません。2000年4月29日に日帰りで強行面接を受けに大阪へ向かいました。午前中に会社の面接を受け、その日の午後には住む場所を決めて東京へ戻りました。東京へ戻る前の晩餐で留学中にお世話になった友人二人と共に再就職の祝の杯をしました。東京の会社の有休を消化するため切りの良い6月10日に退職して私は一路大阪へ。6月16日から大阪の会社へ再就職しました。入社当時はかなり「変わり者」というレッテルを貼られていたみたいです。関東出身の元上司が今度来る子(ママ)はわざわざ東京から大阪へ転職を希望したと噂を振りまいて歩いていたのが原因みたいです。

入社後約1ヶ月経って、仕事の内容や会社にも慣れ始めた頃
「それ」 が現れました。その日(7月11日)は会社から帰宅後夕食を取って有線を聞きながらチャットをしていた時のことです。黒い物体が「ささささっ」と出没したんです。ママは恐ろしさのあまり当時使っていた組み立て式のベッドへ飛び乗り避難。夜も11時頃だったのでチャットの中で「ゴキが出た〜!」と叫び「ヘルプ ミー!」とSOSを発信してました。ゴキが動く度に私が叫ぶのでちょうどそのチャットへ出没していたガーラフレンドのメンバーのひとり(パパ)がそんなに怖くて寝れないのなら今から殺虫剤買って持って行ってあげようかと名刺(個人的に連絡を取りたい相手に渡す)でSOSを快諾してくれたんです。すぐに連絡を取り合ってチャットが終了後すぐ当時私が住んでいたマンションへ来てくれました。若い娘が見ず知らずの男性を部屋へ入れるなんてと思う方もいると思いますが当時のママは黒い物体から逃げたい一心でした。恐怖と不安に慄きながらパパの到着を待っていました。パパは予め、チャットで使っている名刺のアイコンと同じ顔だからと私を安心させてくれていたこともありましたし、彼の職歴を聞いていたこともあると思います。パパは到着後すぐにゴキ退治を始めてくれました。私はもちろん、ベッド(ベッド兼ソファ)へ避難。殺虫剤とエアスプレーで一晩中ゴキを見張ってくれていました。結局、パパが到着後のゴキは姿を見せずどこかへ潜んでしまいましたが・・・不思議。

翌日は昨夜のチャットのメンバーでオフ会が予定されていたので、私もついでに部外者だったけどとっても会いたい人物ばかりが参加していることもあり急遽参加させてもらいました。その日は仲間内で前回名古屋で行われた大きなオフ会の幹事役だった方ばかりが集合してのオフ会で、女性は私を含めて3名が参加。男性がパパを含めて4名が参加していました。私がいきなり参加していたのでメンバーから「付き合っちゃえ〜!」とか「良い関係になるんじゃない?」という憶測も会話にありました。

私たちが婚約したのはゴキ事件から1週間後の7月19日。プロポーズ兼告白に対し私は「はい」と返事をした事から話しがトントン拍子に進みました。当初はお互い翌年の今頃(2001年7月頃)に正式に結婚等になればと考えていましたが、現実はふたりで婚約してから入籍まで1ヶ月(8月10日入籍)、挙式までさらに数ヶ月(11月24日)でした。私たちの信念は「シンプル イズ ベスト」でしたので披露宴をするなんて考えてもいませんでしたし、挙式すらするつもりはありませんでした。でも、両家の母親に一生に一度のことだから挙式だけはするようにと強く言われやむなくそれなら海外でハネムーンを兼ねて両親のみ参列ということで妥協しました。入籍後は披露宴をしないと決めたため毎週末、パパの親族・知人へ挨拶回りで大阪を満喫することもありませんでしたし、新婚生活という感じはしませんでした。まぁ、それはそれで今では良い思い出のひとつですが・・・。

この超スピード婚約・入籍・挙式のおかげなのか一般的な恋愛結婚の夫婦よりも仲が良い夫婦になりました。結婚してからが恋愛みたいなところもあり、夫婦・お互いの両親とも仲良くしています。



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